例年ですと9月から10月にかけて開催されますが、今回は、新型コロナ感染拡大の影響もあり、この時期の開催となりました。また、通常ですと、街歩きしながら講師の話を聞く時はその周りに集まる形で行われていましたが、どうしても密になりやすいこともあり、広い部屋での講義形式といたしました。
今回のテーマは「見慣れた街、見知らぬ表情(かお)〜ファインダー越しに見る私たちの長野」で、講師はフォトグラファーの清水隆史さんです。
清水さんは1969年奈良県のお生まれですが、信州大学のご卒業ということもあり長野に来て30年になるとのことです。長野商工会議所会報のフォトエッセイ「見慣れた街、見知らぬ表情(かお)」は160回を数え、今回はその中から選りすぐりの写真を見ながら解説をいただきました。
フォトグラファーとして「面白い」を視点にしているとのことです。そしてその面白さは人によってまちまちであり、ある人にとってはありきたりに見えても別の人が見ればとても面白く感じることがあるそうです。観光の視点で見た場合の「スノーモンキー」などはその一つとのことです。
以下、清水隆史先生の写真を見ながらお話をお聞きしましたので、その様子を紹介します。(清水隆史先生の写真集『「見慣れた街・見知らぬ表情(かお)』の解説を参考にしました)
①ガウディ・マンション
善光寺下駅から少し北に上がった大通り沿いにあるマンションのことです。半円形に張り出したバルコニーや曲線の手摺りなどが、スペインの有名な建築家ガウディを思い起こさせます。
②長野駅・幻の1番線
先生のお話を聞くまで、JR長野駅には1番線が存在していないことは知りませんでした。長野新幹線開通に伴う駅舎改築で1・2番線が廃止され、同時に旧3番線が2番線に、旧4番線が3・4番線兼用になったということです。
しかし、使われなくなった旧1番線のプラットホームは駅ビルの駐輪場と通路としてまだ残っていて、駅ビルの2階駐車場連絡通路からは昔の在来線「特急あさま」をプリントしたガラス越しに旧1番線が見下ろせるとのことです。
③謎めいたトンネル
長野地方裁判所の南側、妻科神社に抜ける路地に塞がれたトンネルがあります。赤煉瓦のアーチでできたトンネルは今ではコンクリートでしっかり塞がれています。かつてここには長野刑務所があり、このトンネルに見えるアーチ状の構造物は排水溝の出口だったとのこと。当時は刑務所の一部で鉄格子がしっかりはめられていたようです。
最近、その奥にあった長野拘置支所跡が解体され、その基礎部分が見下ろせるようで、何か見取り図のような状態で見え、独房?や廊下などを想像できます。
④りんごのカーブミラー
市内にはりんごの形をしたカーブミラーがいくつかあります。長野オリンピックの頃、「長野市の名産イコールりんご」ということで海外からいらっしゃる方たちをもてなすために設置したのではないかとのことです。りんごの産地青森県弘前市にも同様のものを設置していて、そこは観光関連のWebページで大きく紹介しているようです。
りんごといえば、中央通りにヒメリンゴが街路樹として植えられていて、時期になると中央通りを華やかに彩ります。
⑤蚊里田八幡宮・奉納相撲
浅川東条にある蚊里田八幡宮では奉納相撲が行われています。観光向けではなく地域の人たちが地域のために行っている行事で150年前から続いているとのことです。
⑥ナガノ・エアポート
かつて長野にも飛行場がありました。私は話には聞いたことがありましたが、場所は知りませんでした。その場所は川合新田付近。現在は学校や住宅などが建ち当時の面影はなく、空港の名残は当時の入口にあったコンクリートブロック塀くらいで、当時そこに嵌められていた銘板は記念碑として近くにおかれています。地図で見ると、当時の滑走路?跡が僅かに見て取れるということです。
⑦運動公園の気になる塔
東和田の長野運動公園にこの塔があります。緊急給水塔とのことですが、給水塔とは思えない奇抜なデザイン。災害に備えて長野市内に3カ所設置されているとのことで、約100トンの水が蓄えられているそうです。
⑧神田川水門
松代の神田川が千曲川に合流するところに水門があります。その機械室が松代らしさをアピールするかのように蔵の形をしていて、さらにそれが水門の上にあるのでかなり高い位置にあり奇妙に見えます。
⑨水路の立体交差
善光寺下駅近くの淀ヶ橋で、石垣に囲まれた鐘鋳堰の上をコンクリート橋の中を流れる湯福川が交差しています。何も立体交差にしなくても一緒にしてしまえば、とは言えません。何故なら、双方の流域に水を必要とする人がいるからです。
その昔、湯福川は暴れ川と呼ばれ、水がついたこともあったとか。写真では双方の川の色が違っているのがわかります。それは、湯福川が戸隠から流れてくるのに対して鐘鋳堰は裾花川から取水しているからだそうです。
⑩マンボ橋交差点
国道19号線を安茂里方面に向かって走っていると、コンクリート製の橋が道路上を横切っているところがあります。名前がマンボ橋とは面白いネーミングです。国道から見上げるとただの古い陸橋にしか見えませんが、陸橋に上がると実は半分水路になっているのがわかります。
先生の話だと、この橋は老朽化が進んでいるので架け替えが検討されはするものの、国道を跨いだ後、その先にはすぐ篠ノ井線が下を通り、その上を新幹線が通過しているというかなり複雑な立体構造をしていて、そう簡単にはいかないらしいとのことです。
⑪大穴プール
コンクリート製のプールの真ん中に大きな口を開け、そこに水が吸い込まれていくこの写真を見ただけで、何か自分も吸い込まれそうな恐怖感を味わえます。この施設は里島発電所を50mほど上がったところにある発電所の貯水池とのことです。なお、その付近には「熊に注意」という看板もあり、そちらも恐いですね。
⑫ひまわり交通公園
ひまわりという公園名でありながら、ひまわりは咲いていないとの先生の話ですが、春には桜が綺麗で花見客も訪れるとのことです。ここの特徴は公園内に横断歩道や交通標識、そして信号機まであること。交通公園として子ども向けに交通ルールを学べます。
写真を見て思ったのが、人と信号機の大きさが何かアンバランス。実は、信号機の位置が子ども向けに低く下げられているからで、やたら信号機が大きく感じてしまいます。
⑬長野県でいちばん高いビル
上千歳にある「NTT ドコモ長野ビル」が106m(アンテナ含)で一番高いらしい。確かに周囲の建物と比較するとかなり高く見えますが、特に高さについて誇っている感じはなさそうです。
⑭鬼無里の道路標識
長野市街地から鬼無里に向かい、さらにだいぶ山の中に入ったあたりに「東京」の文字が入った道路標識が立っています。東京? 「ひがしきょう」と読むのだそうです。その昔、京都から来た人を慕い、京都にちなんだ地名がつけられたのだということです。今でも、東京だけでなく、西京、二条、三条四条等、京都にちなむ地名が数多く残ります。
⑮信州新町の嫁池
信州新町の久米路橋を渡り、県道70号線を東側にしばらく進むと嫁池が現れます。その昔、姑のいじめられたお嫁さんが田んぼを耕したあと死んでしまい、その田んぼが池になったとの言い伝えがあるようです。清水先生の撮られた写真には空の様子が湖面に綺麗に映り込み、逆さまにしてもわからないほど美しい池が映っています。でも、言い伝えを聞くとお嫁さんを連れて行かない方が良さそうですね。
⑯9本煙突の家
実は私、この家がずっと気になっていました。緑町の通りを南に降りていって「NTT ドコモ長野ビル」の真裏あたりに位置します。何故か、この家の屋根からいろんな形の煙突が突き出しています。清水先生のお話だと元豆腐屋さんで、様々な商品を作るたびに煙突を立てていたら今のような姿になってしまったとのこと。なるほど納得。
⑰善光寺ロープウェイのゴンドラ
1961年から1975年まで地附山にロープウェイがあったことを知るのは50代後半の私くらいの世代まででしょうか。そのゴンドラが須坂のとある企業に引き取られて資材置き場の休憩室として使われ、ガラスが割れてボロボロになりながらもその形を留めていたとはびっくりです。ゴンドラとして空中を行き来していたのが13年間、地面に置かれて45年間です。ちょっと可哀想な人生ですね。
⑱長野の門
国道18号線を北に向かい、赤沼あたりに来ると右側の畑の中にコンクリート製の立派な門が現れます。何故、こんなところに「長野の門」なの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、できた当時はこのあたりが長野市と旧豊野町との境界だったとのこと。
⑲県議会議事堂の門、その歴史
長野県庁の北側に長野県議会議員会館があります。その入口にあるのが赤煉瓦でできた立派な門です。いつ作られたかは定かでないですが、1889年の写真には写っているので130年くらいこの場所に存在し続けています。昔は議会の焼き討ちなどもあったようで、様々な出来事を目の当たりにしていたということでしょう。
⑳体育館のレリーフ
戸隠栃原にある旧柵小学校の体育館は木造の大変立派な体育館で、ガラス張りの妻側に立派なレリーフがついています。2006年に廃校になった同校は現在長野市地質化石館になっています。
長野市内に74の廃校があるそうです。そのうちのいくつかを紹介いただきました。旧七二会村の旧七二会小学校岩草分校、旧中条村の旧日下野小学校と旧御山里小学校、旧信州新町の旧信級小学校と旧更府小学校吉原分校等、このエリアだけでもいくつもの廃校があるそうです。
㉑七曲がりの松
七曲がりを登っていく途中に、道路の真ん中に木が立っていました。清水先生の話だと、切ろうとした工事会社の人がケガしたなど何かしらの謂われがあるとのことです。「切ると祟られる」では無いでしょうが、ちょっと気味が悪いですね。でも今はその木も切り株しか残っていません。人に切られる前に枯れてしまったようです。
普段私たちが目にしているにもかかわらず、見落としてしまっている施設が数多くあることを知りました。写真という手法を使うことで、空間を限定し瞬間を捉えることができることを知り、自分でもちょっとしたものを写真で撮っておくことをしていこうと思いました。
また、「ここ掘れながの調査隊」の企画として「廃校ツアー」をご提案いただきました。後半にその写真を見せていただきましたが、人里離れたところにも小さくとも立派な校舎が建築されていたことに驚きました。
今回は新型コロナ禍での特別企画となりましたが、次回もお楽しみに。。。
文:「ここ掘れ! 長野調査隊」 隊長 竜野泰一