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第7回ここ掘れ!長野調査隊 報告

第7回ここ掘れ!長野調査隊 報告

2017年10月23日

平成29年10月11日(水)、第7回目となる「ここ掘れ!長野調査隊」は、『峠を越え、千曲川を渡った善光寺道に架かる橋』をテーマに長野近郊の「橋めぐり」を行いました。

当日は、青空が美しい秋晴れの中、会員及び一般市民の皆様合わせて総勢20名の参加を得て楽しい「橋めぐり」となりました。

朝8時、セントラルスクゥエア前からチャーターした長電バスに乗り込み、最初の見学地「村山橋」に向けて出発。バスの中では、竜野調査隊長の挨拶に続いて、今回案内人の山浦直人さんからは、事前に参加者に配布された資料の概略の説明と今回の「橋めぐり」のコースの分かり易くかつ専門的なご説明があり、心がウキウキと。

最初に向かった村山橋は、全国でも希有な鉄道併用橋で、長野から須坂方向に抜けた橋の左側には綺麗に整備された「旧橋メモリアルパーク」が。普段は車で通り過ぎてしまっている橋の袂にこんな綺麗な記念パークがあるとは。此処には、かつて養蚕・製糸業で栄えた須坂の象徴として糸車を模した旧橋の親柱や橋の鉄骨・線路の一部が展示されていて、山浦さんから歴史、構造等について詳しく説明をお聞きした。

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次に向かったのは、高山村にある子安橋。子安橋は、安産・子宝の神を祀った子安神社の参道に架かる橋で、全国でも珍しい下に弛んだ形状を持つ「トラス橋」で、山峡に架かる橋は景観も美しい。
ところで、高山村の名前の由来、高井村と山田村が合併してできたこと、知っていました?山浦さんがさりげなく教えてくださいました。

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山田温泉でトイレ休憩をとり、山田温泉からちょっと下ったところに架かる“吊り橋”が、松川の峡谷に架かる「高井橋」。まだ緑濃い山々の間に架かる赤い橋の美しさに一同、驚嘆の声。

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途中、バスの中から、コンクリートアーチ橋の樋沢旧橋を眺め、山道を下って須坂長野東インターから一路松代へ。

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(樋沢旧橋)

 
 

松代では、松代大橋の長野側袂の“おぎのや”近くにある胴合橋を見学。胴合橋は、第四次川中島合戦できつつき戦法が失敗し、戦死した武田信玄公の軍師・山本勘助の首と胴を繋ぎ合わせたという伝説の場所。(一部には信玄公の弟の信繁公とも云われている。)
*胴合橋は、読みでは「どうあいばし」、地元では「どあいばし」とも。

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最後にめぐったのは、善光寺の入り口の犀川に架かる「丹波島橋」。明治時代に入るまでは橋はなく、「丹波島の渡し」として善光寺参りには多くの苦労があったとのことで北國街道の麓の丹波島は“宿場”として栄えていたとの山浦さんのお話しは、苦難の歴史を知り、橋の有難みを再認識する機会にもなり、改めて感動を覚えた。
現在の橋は、昭和61年に新たに架けられた橋で、構造は連続箱桁橋で、全長は約550m。
たもとには、約200年前の文政3年(1820年)に建てられた「常夜燈」が親柱のように現在も残っていて、風情を醸し出している。旧橋の鉄骨や橋柱の一部も必見。

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いつもは特に感謝の気持ちもなく当たり前に通っている橋、その橋にはそれぞれに歴史があり、その過去の遺産が今も片隅に大切に残されていること、橋の建設に携わった人たちの緻密な専門技術や厳しい土木作業の地道な積み重ねの上に今の橋があること、また、橋の佇まいの美しさは貴重な「観光資源」であることを、改めて強く認識した「橋めぐり」でした。
素晴らしいご案内をしていただきました山浦直人さん、ありがとうございました!

 
 

写真・文 事務局 専務理事 河口明弘